16世紀末から17世紀初頭にかけて日本の朱印状に基づく貿易が盛んだった時代、ベトナム中部・ホイアンに日本人町があったことが知られている。しかし、北部ベトナム、当時は東京(トンキン)と呼ばれた地域と交易があったことはあまり知られていない。
16世紀、莫氏から政権を奪還した黎氏・阮キム(氵に金)は後黎朝を再興したが、その死後女婿・鄭検とその次男・阮潢との間に後継争いが生じ、阮潢はフエに追いやられた。以来、東京(トンキン)の鄭氏と広南(クアンナム)の阮氏との間で南北に分かれて約230年間の争いが生じていた。